10年後の自分は他人かもしれない



私の物件の施主に比較的多い「平屋を建てたい」という要望は、どうやら過去と現在と未来という時間軸に影響しているように思います。


ほとんどの方は家を建てようと考える時は実家同居よりも賃貸住宅に住んでいることが多く、その際にワンフロアでの生活を体験して便利さを感じている部分があり、過去のこの経験が平屋をイメージしやすいものとしていると思います。また未来とは、自分あるいは両親との同居想定時の将来に対する不安の様なもので、バリアフリー、車椅子などへの対応から平屋に対して安心感を求められることが多いです。簡単に書きましたがこれが経験としての「過去」と、見通せないちょっと遠い「未来」。


建物の要望は比較的「現在」を中心にヒアリングされることが多く、お子様が小さい方は子供の遊び道具やベビーカーの置き場含めて今の要望が中心となって展開され、受験生のお子様がいらっしゃる方は勉強環境や個人としてのプライバシーを重要視されます。もちろんそれはそれですごく重要で価値観を探るためにはとても大事な事なのでしっかり聞き入れるのですが、設計者として要望通りそのまま作ってしまって良いかどうかは別問題でいつも悩むことになります。


さらにはヒアリングした現在を中心に前後3~5年ほどの見通し中心で間取りを作り、施主の主観での「要望通り」という理由で競合から選ばれてしまうプランが本当に正しい選択であるかには多少なりとも疑問を感じています。正しかったかどうかは設計した住宅が使命を全うする寿命を迎えた時にしか判断できないのですが、少なくとも住宅寿命の折り返しに近い20年後あたりまでは想定内としたいですし、できれば最後まで皆に祝福される住宅であってほしいと思います。

自分の場合、この「最後まで」と「皆に」は非常に重要なポイントで、普段こういう風に設計したい、提案したいと思っている基本的な考え方の一つとなっていることがあります。


「10年後の自分は他人かもしれない。」


趣味や嗜好やライフスタイルや家族構成など諸々含めて、自分自身と自分の周りの色々様々な環境は常に変化していきます。5年ごとに自分の人生を振り返ってみると、趣味や嗜好などで多少ブレずに継続しているものはあるものの、少しずつ変化しているものが多々あることに気がつきます。10年単位ですともっと顕著で、考え方を含めてある種自分でも想像してもみなかった部分も多々あり、これはある意味ちょっと他人ではないかと思っています。


変な理屈なのですが、上記のように考えながらいつも設計に取り組んでいるので、最終的には施主は勿論ですが施主以外の他人でも過ごしやすいかたちを目指しながら住宅をつくることになります。ある意味施主の要望を取り込んだ、建売としても販売できるぐらいのバランスです。他人でも住めるかたちであれば、10年後20年後30年後、多少ライフスタイルやステージや環境が変化したとしても十分対応できますし、良い住宅優れた住宅であれば、自然と施主だけでなく近隣は勿論、広く世の中に祝福されるものです。名作と呼ばれる住宅はどれも、自分も住んでみたいと思わせる魅力があり、決して施主の要望欲望だけではなく近隣や環境への配慮の行き届いたバランスの良いかたちが多く、感動を与えてくれるものです。


設計者としては、施主の要望を聞きつつも、客観的に物事を判断し、常に皆にとって長い期間でベストな判断と提案ができることが本来は求められるべきと思いますし、自分自身は常にそうでありたいと力不足ながら毎日建築に食らいついています。


写真はかつて展示場としてデザインしたLDKのかたち、展示場のような建物も本来は建売と同じように奇を衒わずにふつうを目指したいですね。

書いていたら少し話が逸れて、純粋に建売住宅を作りたくなってきました。どなたか出資お願いいたします(笑)。

 

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ポーラスターデザイン一級建築士事務所​