明日より浦和のギャラリーで開催される建築家展に参加させていただきます
もしお時間ございましたら是非いらしてください
美味しいお茶が飲める素敵なギャラリーです
この建築家展に向けて、建築家と普通の設計者との違いはなんだろうと考えてみました
「お客様のための家づくり」「世界でひとつ、あなただけの我が家」という様な謳い文句で量産されていく住宅界隈、この仕組みに関する客観的な視点と、私たち設計者が取り組むべきミッションについて考えることで、結果として「良い建築」とは何かを考えてみました。
住宅建築は個人の設計者による計画(プラン)を、現場に関わる多くの職人さん等の協力によって実体化させるプロジェクトともいえます。勿論、設計者のプランを施主が理解、了解することが最低条件ともいえます。
つまり、理想的な「良い家だと思っている」優先順位としては、お客様のための家づくりという視点でとらえると、
①施主及び施主家族
という価値観が、世の中では一般的になっています。
ですが、もう少し引いた視線で良い家を考えると、
①設計者
②施主及び施主家族
ではないかとも考えられ、プランを作った本人が良いと思い、施主がその良さを共感している方が理想的なことは、比較的容易に理解できると思います。
この手法を用いてもう少し拡大解釈してみます。工事に関わる人にも良い家だと理解してもらえると、工事もスムーズに進行できます。
①設計者
②施主及び施主家族
③工事関係者
さらにその家ができることで、近隣や通りすがりの人にも祝福されることは非常に幸せなことです。最終的に多くの人に理解や共感がもたらされ、幸せな状態で「良い家」が広がっていきます。
①設計者(1人)
②施主及び施主家族(4人)
③工事関係者(30人)
④近隣及び通行人(100人)
⑤何かのきっかけでこの家に共感した人(1000人)
ここまで書いてくると、個人の発信者である設計者から、当事者である施主を通り越し、放射状に良い家であることの理解が広まり、より多くの人が共感できる住宅が「良い家」である可能性があることがわかります。逆に考えた場合、施主に対して住宅を考えるだけでなく、施主というフィルターを通して社会に対して住宅を考えることが、良い家には必要な条件となってくるようです。
これは客観的な視点からの観測ですが、わたしの価値観のひとつとなっています。
「建築家」と呼ばれる人たちは、多くの設計者が施主の満足を求めるのに対して、常に社会に問いかけを行い、格闘する人たちなのかもしれません。
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