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永く続けていると、たまには良いこともあるものです。


先日10月2日をもってグッドデザイン賞受賞の報告ができました。


住宅設計をしたいと思って大学の建築学科に入ったものの、教えてもらえるのは都市開発や大規模建築ばかり、勿論そういった基礎知識がしっかりしていて建築は成り立っていくものとは思いつつも、いつしか大学では落ちこぼれになり、結果として入った住宅メーカーで住宅設計の楽しさを知りました。多分ずっとこの会社で住宅を作り続けようとだけ思っていたので、8年前に会社を辞めてしまった自分に一番驚いたのも自分自身でした。よく、なんで辞めたんですか?と聞かれるのですが、会社に不満があったわけではなく、漠然と辞めてしまったのだと思います。


今思うと、出世するとこが成功だったり、時間をしっかり管理したり、ミスを最低限に抑えることが何よりも重要だったり、社会人としては当たり前ですがそういった普通のことが、純粋に住宅設計をしたいだけの自分にはとても窮屈に感じてしまったのかもしれません。

独立後も仕事があるかがわからないのは勿論、一般木造に関する知識もほぼなく、まずは食べていけるかどうかの手探りから始まり、実は今も全く食べていけるような経営ではないのですが、それでも純粋に住宅設計と向き合えている実感が少しずつ湧いているところです。

周りにいる建築家、といわれる方々に会う際は「ハウスメーカー出身です」と言いながらハードルを下げて初心者扱いしてもらっていますが、実はいまだに自分は建築家なのか工業デザイナーなのかハウスメーカーの設計なのか、よくわからないポジションで揺らぐ様に仕事を続けています。建築家という方に囲まれると年齢的にも自分はまだ若手に属することができ、ある意味初心に戻って建築と向き合えていることも良かったのかもしれません。


下手くそながらも永く設計の仕事の第一線で住宅に向き合い、常に新しいことにも取り組みながらも実は全く変わっていない様に見える地味でマイナーな設計を目指しています。


そうやって日々仕事をしながらも、時々不安になる自分がいて、果たして今作っているものは社会的評価に耐えられるものだろうか、と模索するなかで今回はグッドデザイン賞に応募し無事賞をいただくことができ、多少の安堵を覚えています。「デザイン」という分野に関わった仕事をしていく中で、自分には遠くて関われないだろうとかつて思っていたものに、人生で一度でも触れられるということは本当に至福なことだと思います。永く続けていると、たまには良いこともあるものです。


ところで最近の私のお気に入りはヨシタケシンスケさんの「明日やるよ。すごくやるよ。」、ヨシタケさんのエッセイ「思わず考えちゃう」に登場するイラストのひとつなのですが、このTシャツを着ながら毎日過ごしたい本来のわたしはぐうたらでダメな人間なのです。

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