設計者のプロフェッショナル性について思うこと


少し前のブログでもちょっと触れた内容ですが、今日は設計者としてのプロフェッショナル性について少しだけ書きます。


設計者の中にも様々なタイプの人間がいてそれぞれ目指す方向や求めるものも様々です。仕事と割り切って会社で働く人、プランナーと呼ばれる施主の要望に合わせた基本プランを作成する人、素材の扱いや丁寧な納まりに長けた繊細な仕事を得意とする人、色々なタイプ、方向性の設計者がいる中で、私自身がこの人はプロだな感じる人は少ないながらもいます。

建築の中でも私が主に扱っている住宅は、基本的には個人の所有物で、施主に満足してもらうことを目的に作られることが多いと思います。これはハウスメーカー、工務店、設計事務所問わず、基本的にはみな施主から報酬をいただいて対価として住宅を提案し製作しているので、根底としてそうでなければならないし、基本的に正しいと思います。ただ同時に、だとすると施主が満足すればなんでも良いかどうか聞かれると、自分の立場としてはそうではない気もしています。


優れた建築家は皆プロフェッショナルです。建築家という職業でのプロとアマチュアの差はどこにあるのかを考えてみます。入り口として、住宅を作品と呼ぶかどうかについて書いていきます。

住宅を含めて設計された作品は、個人の意思の見えるものでないと作品ではないと少し考える様になりました。昔は自分の住宅を作品と呼ぶことにも抵抗があり、悩んだのですが、プレファブリケーションとして量産化されていく住宅に比べると、ハウスメーカー時代から多少なりとも個人の意思を注ぎ込んで住宅設計に取り組んでいるので、やはり作品という呼び方で正しい気がしています。


同時に、個人の意思というものは基本的には独善的であることが多いと思いますが、それが独善ではなく、100人なり1,000人に対して普遍化し、共感を得られることを目指して作品に取り組むことでプロに近づくのではないかと思っていますし、多分10,000人以上を対象に建築を作れる人たちが本当に一握りの有名建築家となっていくのだと考えています。


噛み砕いて書くと、優れた建築家、設計者がつくる住宅に関しては少し一定の答え方ができる様に思います。「施主だけに向けて作っているか、施主+社会に向けて作っているか。」ということです。つまり、「施主が喜んでくれました。」のみではなく「施主はもちろん、近隣や地域に自然と受け入れられる様に。」が最低限で、より広く社会や環境にまで目を向けて住宅設計に取り組んでいる設計者こそが、よりプロフェッショナルに近いといえる様に思いますし、自分も常にそうでありたいと思います。


ちょっと文章がうまくまとまらず、中途半端で数日校正したのですがすみません。書くことは設計より難しいですね。


月初に筑波山に登ってきました。息子と二人で気楽にと思ったら、彼は異常に早く90分のコースを60分休みなしで登るのに付き合わされ、ヘトヘトになりました。山頂のうどんが美味しく、帰りにいつもの七味唐辛子を買ってきました。


 

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